スマトラ タノバタック
| コーヒーについて | 北スマトラのリントン・ニフタ村、標高1400-1550m。バタック族によって栽培されリントン・マンデリンとも呼ばれる。17世紀にオランダ人がコーヒーを持ち込み、マンデリン族の栽培開始から名称由来。スマトラ在来種を使用し独自のスマトラ式(ギリン バザー)精製方法を採用。小規模農家によって生産され家族単位で営まれる。 |
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| コーヒーについて | 北スマトラのリントン・ニフタ村、標高1400-1550m。バタック族によって栽培されリントン・マンデリンとも呼ばれる。17世紀にオランダ人がコーヒーを持ち込み、マンデリン族の栽培開始から名称由来。スマトラ在来種を使用し独自のスマトラ式(ギリン バザー)精製方法を採用。小規模農家によって生産され家族単位で営まれる。 |
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マンデリン ポルン アルフィナー
北スマトラ州トバ湖畔のポルン地区で生産されるマンデリンで、アルフィナー・ルンバンガオル氏が250軒以上の農家を回り厳選したパーチメントを丁寧に集めています。標高1400-1500メートルの高地で栽培され、シェードグロウンを導入し土壌の保水性を高め旱魃に強い栽培環境を整備、糖度の高いチェリーを選別した苗木を農家に配布するプロジェクトも進行中です。ブルボン種やティピカ種の導入も試みており、地域全体の品質向上と持続可能な発展に献身的に取り組んでいます。マンデリンの歴史は1696年にオランダ軍がアラビカ種をジャワ島に持ち込み、1908年のさび病流行で壊滅的被害を受けた後、マンデリン族が病害に耐えたアラビカ種を元に栽培を主導したことに始まります。
コピ・ルアク
コピ・ルアクは18世紀初頭からオランダ植民地時代に起源を持つ世界最高価格のコーヒーの一つです。1830年に強制栽培制度が導入され、現地農民は自分たちが栽培したコーヒーを飲むことが禁止されていました。彼らはマレージャコウネコ(パームシベット、現地名:ルアク)の糞の中から消化されずに残ったコーヒー豆を発見し、これを洗浄・乾燥・焙煠して飲用していました。1991年にイギリス人トニー・ワイルドが西欧に紹介し、2003年のオプラ・ウィンフリーショーで「世界最高価コーヒー」として世界的に有名になりました。ジャコウネコの腸内消化酵素や腸内細菌の発酵作用により、苦味が減少しカフェイン含有量も約半分になります。主にスマトラ島、ジャワ島、バリ島、スラウェシ島で生産され、野生のジャコウネコから収集されたものはキログラム当たり1300ドル、飼育されたものでも100ドルという高価格で取引されています。近年は動物愛護の観点から飼育方式に関して倖理的な問題が指摘されています。
マンデリン・セブンステラ
インドネシアのコーヒー栽培は1696年にオランダがインドのマラバール総督からアラビカ種の苗木をジャワ島に持ち込んだことから始まりました。マンデリンは1908年のサビ病大発生でアラビカ種の多くが壊滅した中、スマトラ島のマンデリン族が生き残った希少なアラビカ種を丁寧に栽培し継いだことに由来します。セブンステラはトバ湖周辺の7村で栽培されたコーヒーで、ティピカ、カティモール、アテン品種をスマトラ式精製法で処理しG1グレードの高品質を保っています。インドネシアのコーヒーの90%がロブスタ種でアラビカ種は10%、その中でマンデリンはさらに数%しか占めない極めて希少なコーヒーです。
ミルキーウェー・マンデリン
ミルキーマンデリンはパーチメントから脱殻後に豆が白っぽい色に見えることから「ミルキー」と命名されたスマトラ島最高級マンデリンの希少品種です。マンデリンはサビ病の被害を受ける中、生き残った希少なアラビカ種でインドネシア総生産量のわずか数%しか占めません。最高グレード1から5までの等級分けで、G1は欠点豆が最も少ない最高品質です。スマトラ式精製法で種子を果実や皮を除去後に乾燥させる独特の方法で作られ、標高1800-1900mの高地で有機栽培されています。トバ湖の世界最大カルデラ湖と火山灰土壌が独特な風味を生み出しています。
ガヨ・マウンテン
スマトラ島最北部アチェ州ガヨ高原のタケンゴン地区で栽培される最高級アラビカコーヒーです。1696年オランダ人がインドから持ち込んだ歴史に始まり、1930年頃にオランダ政府がベラン・ゲレとベルゲンダルでガヨコーヒー栽培の理想的な場所を決定し農園を開設しました。1984年にインドネシア政府が国際観光地開発の一環として良質なコーヒーに注目し発展しました。イスラム教の戒律が厳しく排他的な秘境として知られるガヨ高地で、国の支援を受けた有機栽培により化学肥料・農薬を一切使用せず自然農法で生産されています。インドネシアのプレミアムアラビカ種輸出量の40%を占める重要な産地として位置づけられています。
トラジャ・ママサ
1600年頃からインドネシアでコーヒー栽培が始まり、スラウェシ島では1900年に農園が開かれました。17世紀頃オランダ統治下でトラジャコーヒーはオランダ貴族間で流行する名品でしたが、第二次世界大戦で農地が荒れ果て「幻のコーヒー」となりました。1978年にキーコーヒーの支援により約40年ぶりに復活を遂げました。標高1200-1400mのタナ・トラジャ地方で栽培され、日中の温度差が15度以上という厳しい自然環境と弱酸性土壌、昼夜の寒暖差がコーヒー栽培に適した条件を提供しています。ママサはトラジャ族の支族名でもあり、タナ・トラジャ県西に隣接するママサ県で生産されています。大規模農園はなく山岳地帯の住民が小さな農園を所有し、栽培から収穫、ハンドピック、袋詰めまで丁寧に手作業で行っています。